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| 2002.11.23
いやいや、さてさて。「街シリーズ」も残すところあと一本。春には思っていた。「今年に終わりはあるのか?」予定はありすぎるほどあるが、先が見えない不安。生きることと憔悴することの差が明確さを失っていた日々。そんななかで、なおかつギラギラ興奮しながら舞台を作り続けてきたカタコンベ。誰も儲からず、いや、激しく出費するだけで、回収のメドもなく、ひょっとしたらその意志も薄く、青春か!?この刹那的な、消費的、いや浪費的な、そしてブレーキのきかないゲンチャ的情熱は大人になる真際の一瞬の奔流。俺は二十二才か。ジャンボは二十四才か。あいつが俺より年上だ。来年は、大人でいよう。大人しくしていよう。大人になろう。なれたらね。なれたらね。
永年貯蔵されていた沢庵を仕留めました。はげしく。鋭角的に。
ent.から発掘された、その樽を処理する任務に当ったのは俺とジャンボと小澤。
何から話せばいいんだろう。・・・昔、沢庵和尚が出家したばかりの時に、彼を苛めにいじめ抜いた男が小澤本院坊、それにこびへつらう二人の下衆、舞台はそんなふうにして始まったわけだが、便宜をはかって少しだけ時代を下るとしよう。こないだすごいもんを開けちゃったわけよ。中庭で樽を逆さにしても出て来ないから、ジャンボが底の部分にバールのようなもので一撃をくらわせたところ、ぷっちんプリン的にボバッて、中身が落ちたんだけどさ、俺達三人とも初めは何が起きたかわかんなかったね。まわりの色が変わった気がして、一瞬後に感覚の80%が嗅覚になってた。タイトル「ザ ニオイ」テーマ音楽「オクラホマ・ミキサー」
三人の男達は・・・・笑い始めた。そして、ちょっと顔をしかめて、久々に味わうマジな吐き気を愛おしむ暇もなく・・・・再び笑い始めた。笑い止まなかった。
小澤が、勇者さながら、そのすごいやつをビニール袋に移す作業に入った。笑いながら。
ジャンボが、小澤を向こうに残したまま、ニオイに満たされた中庭と建物を仕切るドアを閉めた。笑いながら。
俺はそれを見ながら、「ヤクソクといえば、この展開で、そりゃそうなんだけど、ジャンボってある意味・・かなり鬼? 」と思った。笑いながら。
小澤が野生化して、ドアに体当たりを始めた。・・・もう笑わずに。
・・・中に入りたければ・・・ノブを回すべきだった。が、野獣がそこに気付くことはなかった。
本当に、いや、君が信じなくても、これは本当なんだ。人間は、限度を超えた匂いに曝された時、笑う。腹式で気持ちを込めて笑う。
しばらくしてドアを開けたら、新しい小澤がいた。
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| 2002.09.12 建設について
シアターent.柿落とし公演に御来場いただきまして誠にありがとうございました。
てことで、今回はいかにして俺達が大工になったか、または、いかに大工的であるか、そのへんの事情をお伝えします。
久し振りに書いてるけど、これはだな、書きたくなったから書いてるだけで、別に周囲の重圧によって書かされてるわけでは、ええい、うるさい、寄るな、俺の行きたい場所へ行かせろーっ。風に呼ばれてんだーっ。目ぇ瞑って逆立ちしてたって北がどっちかくらいわかるんだ。だから、ああっ、俺を・・・失礼、もう大丈夫、今この瞬間に立ち直りました。
原因は壁。厚さ2ミリのトタンの壁。百分の一スケールで劇場の模型を作るってんなら、まあそんなかな。でも作ってんのはモノホンよ。模型じゃないのよ。「モノホン」て、最初の変換で「藻の本」になったよ。マニア向けだね。図が多め。
虎がガアーッって口開けてるのを建築現場で見るでしょ。・・・見るって。あれが石膏ボード。なんと石膏でできてるボードだから、基本的に壁になるわけです。ちょっと柔らかめの岩を一間半間のサイズに切り出した感じ。一間ていうのは、フック船長が両手を広げたときの、人さし指と人さし指の間の距離。大工か芝居人しか使わない魅惑の単位。その板を三枚重ねると、もう普通には音が漏れない壁になるんだけど、自分で立っててくれないから下地作り。アルミ材を縦横に組んで、溶接しちゃったね、バイソン小沢が。石膏ボードをサイズに切って、インパクト・ドライバーでビス打ち。これを当たり前のことのようにしている劇団はどっか変。
いろんな場所に罠っぽく鉄骨が張り出していて、よく頭をぶつけるんだけど、痛がってたのは初めだけ。段々慣れてくるね。慣れてぶつけなくなるんじゃなくて、痛くても気にしなくなってくる。痛くなくなるわけでもなくて、ゴカッとやっても表情を変えずに「いて」と呟くだけで作業の手を止めない。血が出たかも知れない時だけちょっと触ってみる。奴隷だ。何かの奴隷だ。
俺は他に色々抱えてて、そんなに作業に参加できた方じゃないけど、それでも変な筋肉が付いた気がする。バランス崩れたし、細かい筋肉の一つひとつにまで破壊衝動が潜んでる。建設はほどほどにね。バイソンは住み込みでやってたから、すっかり大工。脚立の上、両手で材を押さえて空いた手でインパクト打ち。願い続ければ体だって変わってくる。あいつは良く言ってた。「腕がもう一本欲しい。」だけどそろそろ役者やヒトに戻ろう。
有機溶剤で作業をすると、疲れが和らぐ。午前中の段階で「きょ、今日はもうだめだぁ。」と思ってたのに、装置塗ったら夜までいけた。溶剤使ってから、軽い脱力に至るまでの時間がどんどん短くなるのが愉快だった。ヒトに戻ろう。
夏はすぐそこまで来ている。
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| 2002.04.07 ゲームと漫才
劇団カタコンベ・ゲーム大会のレポートは・・・次回大会から!?
やっぱりさぁ、ちゃんとさぁ、まえもってね、記録係とか決めとこうよっつう話だな。今回は内輪だけのプレ・イベントだったということにして、えっと、次は豪華ゲスト陣多数参加、超時代的遊戯会を催しちゃったりして、そん時こそ、完璧なレポートをアップします。もしかして楽しみにして待ってた三、四人の人、許して。
ゲームは性格が出ますね。ルーレットの時とか、俺は計画性が無い上に破滅を好む傾向が強いので破産か大勝ちかどっちかだし・・・今回は破産・・・、一方で上位を狙うでもなく長生きする人がいたり、ちゃんと考えながら確実にチップを増やす人がいたり。ルーレットの優勝はジャンボ佐々木。写真があるはず。ベガスで幸運に恵まれたケンタッキー出身のジャンボ風味。
他に何やったっけ。坊主めくり、オセロ、立体四目、等。等はゲームの名前じゃないよ。オセロと立体四目はハードに頭脳を使うので、この二種目のトーナメントを同時に行ってはいけないということが、今回判明しました。二十代の若い脳味噌なら大丈夫だろうけど、俺にはもう無理。自慢じゃないけど、全然自慢じゃないけど、頭脳系のゲームは俺は得意なわけ、自慢じゃないけど。でも、オセロの一回戦に勝って立体四目の一・二回戦をこなして、なんてことをしながら、これまた俺同様に疲労の色を隠せない額に縦縞ジャンボをねじふせてオセロで優勝したあたりでバグ。楽勝のはずだった立体四目の決勝戦では太郎相手に数十秒で敗戦。ものを考える力が残高ゼロ、もしくはマイナスっていう状態に到達していました。ヨダレとかたらしてたかも。
昨日ですね、カタコンベの稽古場の大家さんが代表を勤める「七福会」という魚釣りの同好会の十五周年記念パーティーがありまして・・・いつも、新年会、忘年会、バーベキュー大会と、何かあるごとにカタコンベからも数名出席させてもらってるんですが・・・今回はその席上、俺とジャンボで漫才をやることになってしまいまして・・・って、ジャンボが「やりましょうよ」ってなんか張り切ったからで・・・二回の稽古で本番を迎えました。
ベルナールの洋間、大きな丸テーブルが6つ、天井からシャンデリア、平均年齢60歳くらいの紳士(おっさん風味)淑女(おかあちゃん風味)が盛装して50人、ボーイたちは料理や飲み物の出し入れに余念なく、目の前のテーブルには県会議員と市会議員。
なぜ漫才・・・なぜそこで漫才・・・なぜそのとき漫才・・・。
いやぁ、楽しかった。なんか、すっごく、場違いだった。または間違いだった。そこそこ受けもしたけど、こちらを振り向く勇気の出ない背中とか超目に入るし、その気持ちも痛いほど理解できるし。勉強だなぁ。最近俺、逆境とか好きだ。
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| 2001.06.17 仙台
仙台でマージナル・シアター・シリーズという演劇祭に参加してきました。6/2・3の二回公演。新潟と同じ演目「この街では君の顔が見つめ過ぎた文字のようにワケノワカラナイモノニナル」・・お気に入りのタイトル。最近は「タイトルが長い。」と言われることが減ってきたのも、お気に入り。しかし、来年あたり、最長のタイトルで人々を辟易とさせたい。
りゅーとぴあスタBもそう広い会場じゃないけれど、仙台のOCT/PASS STUDIOは見事にカタコンベ・サイズ。懐かしの「住吉会館」を彷彿とさせる空間でした。住吉会館というのは89年から92年まで使っていた初代アトリエ。知っている人は少ないと思うけどカタコンベのスタート地点と言っていい場所。OCT/PASS STUDIOは完璧にからだに馴染みました。客席との距離感も、俺はあれがいい。他の役者は知らない。俺はあれがいい。
芝居のできは・・・どうだったかなぁ・・・。新潟から仙台へ二週間。二週間分のグレード・アップはできてなかったな。役者に余裕があり過ぎた。演出と舞台監督は確かに痩せ細っていたけど、その疲労と引き替えに得たものは・・・終わってみれば案外小さかった気が、する。なんというか、自分の力の無さなんだ、これは。ま、次はもっと行きますよ。
反省は反省として、久し振りの外公演。楽しんで来ました。仙台が好きになりました。でも、牛タンはもういいかな。今度行くときは魚介類を攻めます。ホヤとカキ。
稽古場の大掃除・・・完了!!
信じられないくらいのゴミが・・・マジで、旅公演一回分の荷物に匹敵するくらいのゴミがでましたね。ワケノワカラナイゴミもいっぱい。世間は広いのでどんなガラクタももしかしたら欲しがる人がいないでもなかろうが、カタコンベのガラクタはきっとそのレベルを越えていると思った。
リニューアルした稽古場は驚きの広さ。なんと、バイソン用に装置制作室が新設されました。
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| 2001.04.09 なまこんべ
Sunny Side「なまこんべ」無事終了。
色々大変だったけど、勉強になったなあ。一番大変だっ たのは風邪。換気の悪いアトリエに狂暴なウイルスが居座って、順繰りにカタコンベとNAMARAのメンバーを食い 尽くしていく感じでしたね。
俺も本番二週間前にすごいのにやられて、今やっとけば もう大丈夫、さすがは風邪引きのプロフェッショナル、タイミングが素人と違う、とか考えてたら直前にまた
やられて死ぬかと思った。
多分ウイルスのルーツは、渡邊亮子だな。渡邊がバイト 先のセブン・イレブンから運んで来たにちがいない。
きっとそうだ。それが俺に伝染って、ネタつけてるうち にみんなに広がって、ボボ・金子の体内で変異して新型になったところで、また俺に還ってきたんだな。
金子君は悪い奴だ。
いやー、遊んだ。かねてから企画だけはあった 「全裸マン」を実現できて幸せ。NAMARAが参加してくれたおかげで、ああいう大きめのバカをやっちゃおうって いうパワーがチャージされたんだろうな。カタコンベだけなら多分やんなかったかな。これは90パ 以上を暗闇でやっちゃうコントで、かなりバカ。稽古は数回。勢い勢い。いつかまたパート2。
あと「鉄拳」ね。「鉄拳について考えて来ました。」
っていうパロディー。これはたまたまアトリエで稽古に 参加してた謎の女子高生マイ子のキャラを生かしたくて考えたネタ。
うーん、不思議。時空がいい感じに歪んで、不思議。 あれを一生懸命練習して、台詞も完璧に入れてきたマイ子は4月から島根。残念。
「ヒッキー・ニオムラのショート・コント」は完成度がやや低かった・・・のは、ニオムラの経験が少なくてヘタクソだったから。ヒッキーは俺が我がままに出すネタをどんどんこなしてくれました。彼は基本的に肉体派、というか、体が頭いい。ニオムラもヘタながらガッツを見せてくれたな。普通は女の子にあれはさせない。絶対面白くならないから。「誰かショート・コントやらない?」って場に振ったらヒッキーが「俺とニオムラさんでやります。」って言うから、まあ、試しにやってもらってそのうちボツだな、と冷酷なことを企んでたのに、本番迎えたもんなぁ。軽く感動。
ピッコロ・タンバリンの「NO.1ホスト」・・・コントとしてのまとまりは一番。それもそっか、本当のコンビだもんな。二人とも空気が読めてて、安定感がある。ライターを差し出すアクションのターンでマジよろけしていた清野君。コミカルな仕草を、イヤミ無くこなす丸山君。どちらも客席を味方につけてしまうのがスピーディー。
「だめなんじゃー」・・・は、メタ・コント・・かな、たぶん。稽古しすぎると狙う雰囲気からはずれてしまうし、稽古しないと余りにバラバラ。うまいことやっちゃだめ。ただヘタなだけでもだめ。カタコンベとNAMARAの絡みぐあいに関して言えば、何か微妙に絶妙だった。ヤング・キャベツのなんぐ君、祝詞の森下君・中田君、今回やや出番少なかったけど、ポイントを押さえた芝居が光ってた。さんま軍団みたいになっちゃうと平面的でつまんないな、とか考えてました。
・・・お客さん、困ってた?
「鳥のいる教室」は、担任の教師がインコ。二人の校長が、時間差でやってくる。など、教室コントとしてはややシュール。そして、インドからの転校生。
・・・こうして書いてみるとメチャクチャ。きぬがさ大活躍。初挑戦、コント中コント。金子君、味出すぎ、ダシ出すぎ。
そしてスペシャル・ゲストとしてNAC(新潟アクション・クラブ)が参加。普段はイベント会場などで、ヒーロー・ショーをしてますが、今回はかぶりもの無しのアクション・ショー「チャーレイズ・エンジェル」・・・あの狭い会場でトンボ切りまくり。ただし最終日のみ。金土のお客様はまたの機会にどうぞ。
次回も「なまこんべ」になるか、カタコンベ単独でいくかは未定ですが、Sunny Sideは不滅。お楽しみに。 可能性としてはNAMARAライブにカタコンベのメンバーが・・・てなこともあります。
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| 2000.11.20 ボリス・ヴィアン
「悪衣の天使」クリスマス・バージョンの中に一冊の本に関するエピソードをちらっと登場させたんですが、ちょっとその話。
ボリス・ヴィアンというフランスの小説家、御存知でしょうか。
数はたいして読んでないんですが、好きなんですよ。俺が特に好きなのは「心臓抜き」と・・・「悪衣の天使」に出てくるやつ。「心臓抜き」はタイトルとはかけはなれたシュール・リリックな話。 ヒジョーにぶっ飛んでる小説。仏語の段階でおそらくメチャクチャなのが日本語に翻訳されて余計わけわかんなくなってるから、「意味」で本を読むタイプの人にはオススメできません。・・・けど、音楽でも聞く感じで、ハイに入れてくと、からだがブルブルふるえちゃうような本。
えーっと、ちょっと調べます・・・・・あ、はいはいはい、「早川書房/ボリス・ヴィアン全集」で読めます。・・・って、見たら全13巻だって。そんなに出てたとは。うおっ、俺、そのうち8冊読んでる・・いや、読んでるはず。読んだことしか覚えてない。
ものごとを記憶しない傾向が極めて強い俺だけど、これはぁ。
・・・面白くないのは・・面白くないかも・・いゃ・・・
たぶん・・・文字物のなかではかなり特殊なとこまで、その人のその時の気分でon/offが起こる種類のイメージ・・・。一般に、物語は「言語の壁をかなり越えます。」が・・・彼のは・・・ああ、月並な結論、「詩です。」たぶん、原語じゃなきゃダメなんだろうなぁ。
フランス語の勉強を、今、この歳で始めることは可能なのでしょうか。やる気ないけど。でも、ま、いっか、日本語でも面白いのは面白いんだし。
でもなぁ・・・紀伊国屋に行くと常に何冊かのボリス・ヴィアンがあるのが、結構不思議。読む人いるんだぁ・・変なの。
えー、「悪衣の天使」の稽古が始まっております。若手の奮闘に期待。古株も頑張らなくては。人生是即舞台、終わりなき挑戦、行方知れぬ旅、寄る辺なき身?・・・若手にちょっと芝居させてみて思ったこと・・・・「うおおおっ、こいつらっ、普通の人々だぁっ!」ふふふ、御心配無く。幕が開く頃には、カタコンベの人々になってます。かわいそうに。
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| 2000.09.20 3・2・1バンジー
さてと・・・ずいぶんサボってしまいました。お久し振りのポエポエ日記です。
今回は「第一回 劇団カタコンベ バンジー・ジャンプ大会」の報告です。
去る9月15日、山形県朝日村月山へのブリッジ・バンジー・ドライブに参加したメンバーは、カタコンベからは俺とジャンボ佐々木、赤塚すいか、佐藤Q、コバヤス、増井晶子、と、このあたりは最初っから飛ぶ気満々のおばかさんたち。他にカタコンベからは、飛ばないけど見にきたチャーリー、もしかしたら飛ぶかもしれない松尾佳恵の8人。他にもこのドライブには、まあ、なんというか、巻き込まれ型の参加者がいて、元カタコンベのタマ(故あって半角)、五十嵐劇場が送り込んできた刺客・クニタマ、おばかさんたちの行状を新潟全体に語り伝える役を担ってクルマに乗り込んだ点心舞台の岡本ちくわ・・の3人で、合計11人のドライブは朝8時の出発。曽我が参加していないので時間通りに出発。
西日本では多くの人々が大雨に苦しんでいるにもかかわらず、我らの進む道は真夏のような太陽が照りつけ、笹川流れに鼠ヶ関、温海温泉と、見える景色も申し分なく、皆口々に「あっちぇー」「きれぇー」「青いねー」「腹減ったー」・・ 頭悪そう。そのくらいの好天気。道の駅で、ジャンボが直径25センチはあろうかというカニせんべいを買って、それが何枚も集団の中に行き渡ってからは、バカっぽさ絶頂。
コバヤスは、右手にアイス、左手にカニせんを持って、真直ぐにではないが、運転できる。
タマ(半角)は旦那共々ちょー走り屋で、リミッターを外したクルマに乗っているくせに、ヒトの運転ではすぐ酔って、何度も休憩をせがむ。
松尾は、なんだか、すごく、寝る。
クニタマは、人の話を最後まで聞かない。忠告・・「反応を焦るな。」
佐藤Q、・・・いた?
バンジー・ジャンプは午前一回、午後二回の受け付け。我らが飛ぶのは午後の一回目で12時半集合。十分な余裕を持って40分前に到着したのはいいけれど、微妙なのが腹具合。飛ぶ前に食べるのは気が引ける。でしょ。
しかし、これからやろうとすることは言ってみればかなりハードなスポーツに類することなんだからそれをエネルギー補給無しで行ってもよいものかどうかといっても万が一落ちたショックでああいうことになってしまってはと思うと・・・食べれにゃーい。
「早く飛んで飯食おう。」と、A・WATERMELONが言う。・・・それはそうだけど・・そうなんだけど・・・・・何か違う気がしたので・・・相槌が曖昧になってしまった。
飛び順は、大体のところグループ毎にくくってくれるので、どっかから来ていた体格のいいお兄さんたち御一行が飛んだ後で・・・我らの番。34メートルのダイブを何本か見ていると、もう空腹は忘れてます。
美しい渓谷に架かる白い吊り橋の真ん中から見下ろす川面の遠さ。それに右側の岩がこっちに張り出し過ぎてるし・・・こっから飛んだら、きっと当たるし・・・当たったら、きっと痛いし・・・なーんか、やな感じ。っつうか、高えよ。
と、去年も思った。
今年も思ってる。
俺はさぁ、これ、二回目なわけじゃん。なのにさぁ、あれぇ・・・例年並みに怖えじゃん。ていうか、ほら、この後、あそこ、プラット・ホームと呼ばれる場所に立つじゃん。そうすっと、たしか、あんなに怖えじゃん。その怖さを思い出しちゃってるから、怖さが・・・・フライングしてっじゃん。やべぇ・・・
と、橋の上で飛び順を待つ俺。俺の前に赤塚。その前がジャンボ。その前が我がグループのトップ・ジャンパー・・タマ(半角)・・・が呼ばれて、プラット・ホーム横の椅子でコードを・・・って、あのゴムのこと・・・を足に着けられてます。
ところで、この着け方が結構簡単。マジック・テープで ジャッ、ジャッと足首にくくりつけるだけ・・・じゃないんだろうけど、素人目にはそんな感じ。怖い。
もう片方の椅子にジャンボ。プラット・ホームは二つ並んでいて、交互に使う仕組。
タマ(半角)の番。さあ行け。みんなで応援してるぞ。5、4、3、2、1、バンジー・・・
「ああ、だめ、行けなぁーい。」
じゃなくて、行け。5、4、3、2、1、バンジー・・・
「だめですぅ。」
じゃない、行け。5、4、3、2、1、バンジー・・・
行け。5、4、3、2、1、バンジー・・・行けよ。5、4、3、2、1、バンジー・・・
・・・・・面白いよ。そう、そう、たまにはゴネる人もいるべき、いるべき。あ、横のジャンボが少しずつ蒼ざめていく。そりゃそう。あんな場所で長く待たされた日にゃ。5、4、3、2、1、バンジー・・・5、4、3、2、1、バンジー・・・・・5、4、3、2、1、バンジー・・・・・・・
さて、次で最後だと言い渡されました。5、4、3、2、1、バンジー・・・
「もう一回チャンスを下さい。」
まじかよ。あ、ジャンボの顔から生物らしさが消えてる。5、4、3、2、1、バンジー・・・・・
「次は行けると思うんです。」
ジャンボが何か言いかけたようにみえた。5、4、3、2、1、バンジー・・・・・
「次はきっと。」
ジャンボ、ノー・リアクション。5、4、3、2、1、バンジー・・・・・
「今度こそ。」
ジャンボ、炭化。
信じられないほどの粘りを見せて、彼女はついに・・・「もうやめましょう。」と言われ、それを受け入れた。半角決定。
ジャンボは偉かったと思います。その後、一回のカウント・ダウンで落ちて行きました。黒くぼそぼそになった姿で・・・
次の赤塚も、時間の無いサラリーマンが回転寿司の店に飛び込むように視界から消えた。順調、順調。
俺の番。俺ってば、興奮体質だから、楽しいことはめちゃくちゃ楽しいし、怖いことはめちゃくちゃ怖い・・・んだけど、タマ(半角)に待たされてるうちに、とても静かな心境にたどり着いてしまって、秋なんだよなー、とか考えながらプラット・ホームに立つと、やっぱちょーこうぇー。うわー、右の岩出てるし。5、4、3、2、1、バンジー。今年の目標は「落ちる」のではなく「飛ぶ」こと。顔を上げて、胸をそらして、飛べた、より高く、より美しく、無重力の世界、いて。10日くらい前から悪くしていた首が・・・「あ、私、これ以降、可動部分じゃなくなりますんで、はい、じゃ。」って、ちょっと待ってよ、あ。
順調、順調。
松尾は結局飛んで、しかも、あとできいたら「怖くなかった。」らしいし。ま、あれだけ寝ればね。
増井晶子は劇団で唯一のダンサーなので、陸上でも空中でも完璧な姿勢を保っています。今度、水に沈めて様子を見てみたいと思います。
クニタマもきれいに行ってた。かっこよかった。でも、宙吊りになったまま自ら拍手して爆笑するのは、いかがなものか。
佐藤Qは、ビヨーンと弾みで戻るときに、あれほど注意されていたにもかかわらず、コードを掴んで・・・後で岡本ちくわが言ったように、まさしくそれは、「さらばだ、明智君。」巨大な風船で逃亡をはかる怪人。他のみんながそうしているように、逆さまになればいいのに、って思った。
コバヤス・・・受け付けの段階からずーっとニヤニヤしていてほとんど口をきかない。話しかけると余計ニヤニヤするから、なんかキモい。こいつダメかも、とか思ってたら背面からの大ジャンプ。いきいきしてたよ。かがやいてたよ。バンジーよりもおまえがこわいよ。
カメラマン役に徹していたチャーリーは、受け付けの時に試しに誘ったら、真っ白に血の気の引いた汗まみれの掌を見せてくれた。君どころか、まだ誰も飛んじゃいないのに。はえーよ。しかし彼は、次回の「猿ヶ峡60メートル大会」への参加を決意したらしい。
岡本ちくわは、血の気だけではなく、立ち位置も引いていた。見てるだけなのに、なんか顔とか、最初は普通に蒼ざめてたんだけど、そのうち緑っぽくなって、どんどん我々から離れて背景の山に溶けこんで・・・いいなぁ、保護色使えて。
てな感じで、バンジー大会は無事終了。帰りにタマ(半角)のガイドで寄った温泉が最高。それで首が治るわけもなかったけど、普段と違うタイプの汗を洗い流せてスッキリ。ああ、コンチクショー、俺の首。クニタマ、温泉でスニーカー紛失。ジャンボがクルマに雪駄を積んでてヨカッタね。
どこかで俺を見かけたら、気軽に声をかけてね。からだ全体で振り向くから。
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| 2000.07.04 夏が来て
小学生の頃の愛読書「どらえもん」「ブラック・ジャック」・・って、いきなりマンガなんだけど、実は俺、かなりマンガが嫌いだったので、これくらいしか腰入れて読んでないかも。・・・・あとは・・・ジョージ秋山の「残酷ベビー」「アシュラ」、永井豪「網走一家」とか好きでした。・・・でもでも、とにかく嫌いなマンガが多くて多くて、「漫画雑誌を自分のお小遣いで買う」なんてことはありえませんでした。
しかしです、出るたび買ってたのは「ピーナツ・シリーズ」・・・って、わかるのかなぁ。知ってます?・・?・・4・5年生の頃、月に一冊ペースで出てたんで、必ず買っては30回くらい読んでました。同じのを。繰り返し。「人はそれぞれ価値観が違うこと」、とかぁ、「わなびー」感覚とかぁ、学びました。あの犬は「獰猛な禿げ鷲」や「自動車のエンブレム」にわなびってました。
びっくりして下さい。その頃は、少年誌に日野日出志がよく載ってました。
これがなきゃ生きて行けなかったのが「子供の科学」
この本今も続いてますね。素晴しい科学雑誌です。小学校の中学年になったら、この雑誌を通じて宇宙の把え方を学ぶべきです。「初歩のラジオ」ってのもあったな。こっちは小学生には難しすぎたけど、分かるとこだけ読んでると、それなりに興奮しました。
おっ、思い出した。電鍵にブザー付けて、モールス信号練習機を作ったことがある。5
年生の時だ。電鍵て、わかんないよね。「トン・ツー」の押す部分。あとね、ゲルマニウム・ラジオからFEN・・・三沢に住んでたから・・・気持ちよかったぁ、まじ。「たいやき君」じゃないわけよ。
その頃一緒にラジオとか作ってた友達の家で、夏のとっても暑い日、そいつの家の庭で飼い犬も一緒にホースで水かけあって、超ハイんなったもんだから屋根のぼって、二階にかぶさってた木の枝を折り取って、その枝で体に模様をつけてた。原始人気分で・・・って何のことだか分かんないと思うけど、ほら、蚊に刺された時とか爪で掻くと跡が残るでしょ、白っぽく。それを爪じゃなくて木の枝でやったの・・なんか面白くて。かなり馬鹿っぽいんだけど、目の廻りに白く筋を描いて「めがね」とか・・「額に3本線」とか・・「ほら、これ、俺のイニシャル」とか・・
そしたら、その木が、うるしだった。
友達も俺も、3日くらい学校休んだ。かぶれるわ、熱は出るわ。
で、俺の手の甲には今でもイニシャルがうっすらと。ふん、あの夏が残ってる。それで俺今でも馬鹿なのか。
今年も夏が来ました。
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| 2000.05.13 流木ゲット
第37回公演「あなたは影で描いたあなたは影で描いた」が、いよいよ一週間後に迫ってますね。・・・他人事のように言ってみました。気が楽になるかと思って。・・無駄でした。
昨日、海に行ってきました。この時期に、やっぱノンキじゃん、て?そういんじゃなく、舞台装置に使うための流木をゲットせんがために、メジャーとノコギリ持って、つまり、海に働きに行ったわけなのです。欲しい流木はかなり大きいやつなので、俺のKeiに積むためには2メートル20センチ以内のパーツに分解しなきゃなんないから、メジャーとノコギリ。
快晴。初夏の日本海。べた凪。ちょっと沖で作業船が古いテトラ・ポットを撤去してる以外には、動くものも見当たらず、ポツン、ポツンと日向ぼっこの人影。さざ波。たまにカモメ。
目を付けといた見事な巨大流木の横にも若者一人、膝を抱えて暗い顔。青春か。
気にせず、その目の前で鞘からノコギリを取り出して、俺は、ギコギコを開始した。
ちょっと一声掛けるにも静かすぎて気がひける午後のせいで、ノコギリ男は出現と同時に無言で流木を切り刻み出すことになってしまったのです。この時期としては異例の暑さで、あっというまに汗まみれ。おまけに潮風でアレルギーを起こす体質のため、顔も腕もまだらに赤みを帯びて、インスタントな異形の者。流木は芯に海水を含んで切りずらいから、眉間に不機嫌なシワ・・・
一分後に若者は、流木の次は自分だと思ったのか、なるべく背中を見せないようにして去っていきました。
彼が自殺を考えていたなら、自分の中の生きたい気持ちに気付かせてあげた俺は命の恩人です。
3分後に、ちょっと離れた波打ち際の岩の上で本を読んでいた人も、俺を迂回して陸へ帰って行ったけど、あのまま岩の上にいたら、穏やかだった海が一変、高波が彼を海底へ引きずり込んだはず。それが海の怖さ。やはり人助け。あー、いいことした。
切り刻まれた流木は、アトリエで組み立てられ、チャーミングなオブジェに生まれ変わりました。
そのうち「海辺で憩う幸福そうな人々をチェーンソーで襲う日本海のジェイソン」の噂を聞いたら、俺だと思ってください。
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| 2000.04.08 簡単な芝居
問題は、芝居っつうものが、余りにも簡単に作れちまうってことなんです。
これといった才能を持たない人が、「芝居だったらできるかも」で始めて、できちゃうのが芝居。大昔の言葉で「でもしか教師」っての、ありました。「大学出たけど、勤め先がない。しょうがないから教師デモするかぁ、教師シカないよなぁ。」・・という具合。
「でもしか芝居」も、たくさんあります。「だったら芝居」もね。
「芝居でもしようか」「芝居しかできないな」「芝居だったらやれそう」
消去法で芝居を選んでる奴は、日本海沿いの砂浜に深く埋ずめてヨコエビ類の餌にしろって、昨日、国会で決まりました。
総合芸術である、と、芝居は言われます。よね。
確かに芝居は、脚本・役者・装置・音・光・時間・・・無数の要素から成り立っていて、そのひとつひとつの要素は更に細分化できそうです。
だから芝居は難しいのか、だから芝居は簡単なのか、そこが重要なのよね。
総合芸術というからにゃ、つまり、甲100と乙100で、「げ、200だよ事件」を起こそうぜ、ということなんだよな、がんばろ。とか、思ってると、脚本15、役者20、装置20、音効15、照明20で、「合わせて90!!」・・・って、マジで喜んでる集団に出会います。容易く出会います。頻繁に出会います。ちょい賢い中3にも書けそうな脚本。テンション以外に演じる術を知らない役者。突然始まる下手糞なダンス。・・・で、何故か1500円とか取るし。
やっぱり、芝居ほどクルクルパーに優しい表現形式はない気いする。
例えば楽器とかだったら、よっぽどじゃないと舞台で披露しようって気にはならないと思うんだけど、芝居だと・・やっちゃえるみたい。トランペットでドレミ吹いて1500円。両手で「猫踏んじゃった」弾いて1500円。
なんなんざんしょ、この気楽さは。我々演劇人につきものの、この気楽さは。
ひとつには、「役者」というものの存在が癖ものです。「役者」は人間がやる場合が多いので、「人間の面白さ」を利用することが前提になってます。「顔に味がある」とか「顔に味がついている」とか「声に説得力がある」とか「おばかさんだ」とか「色っぽい」とか「毛深い」とか「動きが奇妙」とか「何かありそう」とか「具合悪そう」とか「悩みなさそう」とか。
道歩いてても、時々、「この人このまま舞台に上げても絵ができちゃうな」っつう人を目にします。「人間の基本的面白さ」が、たっぷり出ている人ですね。でも、その人に1500円払いませんよね。どんなに面白くても、基本的だからです。もしあなたが、人権を購入したんだとしたら、路上の面白い人に1500円払ってもかまいませんけど。
舞台なんかなくても人間は基本的に面白いんだから、ちょっとした状況といくつかのセリフ、メイクに衣装、ライトが当たって音楽が流れて・・と、お膳立てが整ってくれば、かなり魅力のない役者も「面白そう」に見えてくるし、そこそこ面白いこともできるわな、そりゃ。
でも、よく考えてみると、人間が面白いのは当たり前なんだから、それを舞台に上げても、そのまんまじゃ「お友達に見てもらいたい面白い自分や仲間たち」でしかないんだけどね。誰が脚本書いて、誰が演じても、「人間の基本的面白さ」は勝手に出るんだから、それだけで「面白いでしょ、はい、1500円」は絶対だめ。宴会で何かやって場を沸かしても、ギャラは発生しないのと同じです。
面白い芝居は誰にでも作れるし、そこまでは才能とかも関係ないな。だって、そんなのは時間で作れるじゃん。何か月稽古しました、とか、徹夜で書きました、とか。つまり、製造であって、創造ではないわけね。
特に脚本書いたり演出したりする人間は、この辺りをシビアに把握したいもんです。自戒しきりにゃり。
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| 2000.03.08 Slow Sand
「Slow Sand」も無事終了。今回は駒場アゴラ劇場とカタコンベ・アトリエの二ヶ所での上演。かなりコアな中味の芝居であるのにもかかわらず、お客様はしっかりと舞台の流れに乗って楽しんでくれていたようで、いつものことながら感謝、感心、感動。有難いことです。
実を言うとこの「Slow Sand」は再再演。3度目なのです。再演というのは面白い作業で、前と同じじゃつまんないけど、テキストが同じなんだからそんなに違うこともできない、という狭ぁい範囲でじたばたしてるうちに本番が来ます。演出家が変われば大胆な解釈も可能なんだろうけど、自分で書いた本を自分で演出してる場合は、そうそういい加減なことはしたくないわけです。えっ、そうですよ。「大胆な演出」と「いい加減な演出」は元来同じものです。誤解の無いように付け加えておくと、芝居の発想はいい加減なくらいが面白いと思います。俺も年をとって、大分いい加減になっては来ているんですが、まだまだ自分の枠に囚われがちで、いい加減になりきれてないんですね。それに、いい加減になりきりたくないんですね。自分が大事で。たまに誰かに演出して欲しくなるのはそのせいだと思います。
「Slow Sand」は3回とも全く同じ台本で上演しました。書換は一切無しです。書き換える必要を感じなかったからで、決して手抜きではありません。比べて、今世紀末に再演する「悪衣の天使」は大幅改訂することが決まっています。「悪衣の天使」も3度目の上演ですが、毎回書き換えることになります。「Slow Sand」も「悪衣の天使」も俺にとって非常に大切な芝居なのですが、前者は俺の中の固定された部分を、後者は流動的な部分を表わしているかのようで、何だか不思議です。
しかし、テキストを書き換えなくても芝居は変わるものです。今回は田中という役が違う役者になって、そこからバランス的な変化が生まれてきました。俺は主役を演りましたが、脇役の・・とは言ってもとても重要な役なのですが・・田中が変わると、主役も変わる。舞台上の関係性というのは、つくづくリアルなんだと再認識。ホントに面白い。
何故だ。今回、アトリエの暗転が完全暗転だった・・・
普段はオペの手元灯りとかで、そんなに暗くはならないんです。なのに今回は暗かった。海のシーンで花道っつうか客席に出て、暗転後に袖にハケようとして、90度くらい体の向きを変えたら方向が分からなくなってしまって、最前列のお客様をガコッと蹴っとばしました。BBSでは田中を演じた曽我のせいにしておきましたが、あれは・・・曽我の仕業です。曽我に蹴られた気の毒なお客様、申し訳ありませんでした。
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| 2000.02.04 遺伝子戦略
全ての生物は、その種を保存するための様々な手段を、進化の過程で身につけてきた。現在この地球上に存在している生物はどれも、存在しているだけの理由を持っていると言ってもよい。生き延びて来たからには、何かしらの技があるのだ。逆に技を持っていない生物や技の足りなかった生物は、いつしか絶滅し、化石としてすら残っていないこともある。DNAは何十億年もの間自己複製のための試行錯誤を繰り返し、無数に分岐した道の中のほんのわずかのものだけが現在に到達し、生物として存在を許されている。
それはいわばDNAと環境の戦いでもあるわけだが、人間というわがままな生物が幅を利かせるようになってからは、戦いのルールに大きな変更を加えざるを得なくなってきたようである。端的に言えば、人間の手によって、DNA進化が追い付けない速度で環境が変えられてしまうため、簡単に「絶滅」が起きてしまうということだ。4人目がタコだったときのマージャンのようだ。場が荒れて、大発生や大絶滅が頻繁に起こるようになってくるのだ。ゲームにコクがなくなり、出来事と出来事の間の繋がりがいい加減になり、時間感覚が刹那的で、大局的な次元でモノが流れなくなってくる。・・・人間が地球相手にやろうとしているゲームに、果たしてコクのかけらでも含まれているだろうか。
さて、遺伝子の戦略には実に様々なパターンがある。魚類の多くは一回の産卵数を莫大にして生き残りを賭ける。逆に哺乳動物などでは、少ない子供を確実に育てる場合が多い。また、個の保存のためには、擬態をしてみたり、毒を持ってみたり、やはりここにも色々な戦略が使われている。蘭の花に擬態するカマキリなどは有名であるが、中には有毒のハコフグに模様を似せているカワハギなど、手間の掛かる方法を選んだ生物も少なくはない。フグの毒は、その有効性について、今だにこれといった明確な答えが出ていない。すなわち、フグを食べるまではその捕食生物はフグの毒を知らない筈だし、知ったときには死が待っている筈である。また、フグを食べた捕食生物が死ねば、フグを食べる個体が一つだけ地球から減るわけだが、それが種の保全にもたらす効果はあまりにも小さい。それに、その捕食生物はおそらくフグ以外の魚も食べるのであろうから、この場合、フグがフグ以外の魚を守っていることになる。にもかかわらずフグに擬態する魚がいることは事実である。
このように、生命が持っている戦略は非常にデリケートで入り組んでおり、未解明の部分が多いのだが、ここに、かなり特殊といえる戦略で、その遺伝子地図を日々拡大している生物がいる。ゴールデン・ハムスターという。この小型哺乳動物の原産地は中東シリアの砂漠地帯であり、現在我々が目にするゴールデン・ハムスターは全て、1930年に捕獲された一頭のメスとその子供12頭の子孫である。しかも実際には、飼育下での繁殖は12頭の子供のうちの3頭だけが生き延びた時点から始まっているので、アダムとイブともう一人で出発したことになる。通常は3個体のみで遺伝子集団を形成できる生物は稀であるが、ゴールデン・ハムスターの場合は、初めの飼育者に恵まれていたと言うことができる。初めの飼育者とは、ロンドン動物学協会である。彼等は新しい家畜を見つけ出すことを第一の目的としていた。おそらくはその情熱とゴールデン・ハムスターの特殊な戦略とが相俟って、今日の大繁栄に繋がったのではないだろうか。
シリアの砂漠に生息していた3頭の個体からスタートして、今ではその子孫が世界のあらゆる国で旺盛に繁殖しているわけであるが、では、具体的に彼等は何によってそこまで個体数を増加し、生息範囲を拡大することが可能であったのだろう。「繁殖力」だけ見ればゴールデン・ハムスターのそれはかなり強いが、もっと強い生物は他にいくらでもみつかる。やはり、第一の戦略は「かわいさ」だと考えられる。つまり「かわいさ」によって人間に寄生している状態なのだ。なぜ寄生かというと、犬や牛・豚といった共生的家畜と違い、ゴールデン・ハムスターにははっきりした有用性が認められないからである。「飼っていると心がなごむ。」とか「一人暮しでも辛くない。」というのは、いかにも曖昧な、消極的な有用性であるとしかいえない。客観的に見れば、人間は、彼等の「かわいさ」に支配され、その勢力拡大・遺伝子地図の拡大のために利用されているだけである。
イギリスのある地方では、産業革命以後、工場が排出する煤煙によって街全体が黒ずみ、それに合わせて蛾の一種が、それまで白かった羽の色を急速に濃い褐色へと変化させた。工業暗化と呼ばれ、短時間で起こる自然淘汰の好例である。ゴールデン・ハムスターもまた、生物の限界に近いと思われる速度で体毛の色・長さ・模様を変えつつあるが、これはむろん自然淘汰ではない。では人工改良かといえば、それも違う。ゴールデン・ハムスターは、その姿を確実に「かわいく」変えている。つまり、人間を利用して自らに改良を加え、結果として更に人間を支配しやすい立場を獲得していると考えた方が納得がいく。生物の生存のための戦略という側面から見る限り、ゴールデン・ハムスターと人間の関係に於いては、あくまでもゴールデン・ハムスターが主で、人間が従なのではないだろうか。
このように、生命と生命は複雑に作用し合って進化の木を昇っていくのだ。人間が進化の頂点に立っているなどということは、決してありえない。もしも人間が、とても頂点に近い所にいたとしても、その上にゴールデン・ハムスターがいるということを忘れてはならない。
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| 2000.01.14 年末年始
BBSにも書きましたが、僕は1999年から2000年にかけて、映画館でフランスのレオス・カラックスという監督の映画を見ていました。31日の21時過ぎから「ポーラX」。それが終わって新年のカウント・ダウン。そして「ポンヌフの恋人」。本当は次の「汚れた血」まで見たかったのですが、31日に脚本を一本書き上げたために超寝不足。で、「汚れた血」は断念しました。
二本とも非常に面白かったです。「ポーラX」は前半テンポがゆっくりで、寝不足者は数回気を失いかけたのですが、中盤からは力強いイメージ展開で絵が走って、主人公の転落ぶりの激しさについつい引き込まれ、見終わった感触を一言で表わすと・・「きもちいい」ってな感じ。近親相姦と同性愛的三角関係と病的な下降志向のドラマ、なのに、「きもちいい」・・・パゾリーニ監督の「テオレマ」を、少し思い出しました。
「ポンヌフの恋人」は、とことん激しい映画です。マドモワゼル自暴自棄とムッシュ自己喪失が恋の他に何もないので恋をして、破滅寸前のところでちょっと回復して、最も曖昧な未来へ捨て身で旅立ちます。・・・・・すげー説明。ま、分からないと思いますが、映画の内容を知りたい人は映画をみましょう。ま、ともかく、ストーリーと絵作りと音楽が観る者の背骨を鷲掴みにしてくれます。「きもちいい」
この二本なんかそうですが、面白い映画の中でも特に面白い映画は、映画を再発明していると、思うことがあります。既にある映画という媒体を利用しつつ、映画を新たに作り出す、と言って理解してもらえるでしょうか。おっ、これは、「エイガ」かもしれないって、思うわけです。
いわゆる実験映画とか、実験演劇というものにはあまり「きもちいい」感触を与えてもらった記憶が無いのですが、自然なスタンスで概念超えをしちゃってるヤツは何だか好きです。
てな年末年始。
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